2008-1-5
100数十年前、イリュストラシオンに掲載された三井寺

 1月2日、嫁さんの実家近くにある大津市の三井寺に初詣に行ってきました。もっとも初詣もさることながら、撮りたい写真があったため三井寺に参拝したというのが本当の所です。

 そこでまず見てもらいたいのがこちらです(図1)。これはフランスで発行されていた絵入り新聞「イリュストラシオン」の、1981(明治24)年5月23日号に掲載されたものです。これより約10日前の5月11日に、ロシア皇太子ニコライ(後のニコライ2世)が、この大津で警官に襲撃される事件が起こりました。世にいう大津事件です。新聞では、この大津事件のいきさつを解説するとともに、大津の様子を伝えるべく、先の絵を掲載したという次第です。

 そのため、写真のキャプションには「ロシア皇太子襲撃事件がおこった大津の町の眺め〜レオン・ド・ターンソー氏のアルバム写真よりナダールが複写」とあるだけで、詳細な場所までは明記されていません。幸いなことに私の場合、滋賀県出身であること、この絵を見る少し前に、偶然にも三井寺に行っていたことなどから、これが三井寺から撮影したものだとすぐに分かりました。

 一方その後、国際日本文化研究センターの白幡洋三郎さんが書いた「幕末・維新 彩色の京都」(京都新聞出版センター)をめくっていたら、これまた偶然にも、イリュストラシオンに掲載された絵の元写真と思われるものを発見しました(写真1)。下部が若干切れていますが、観月舞台(柵をした唐破風の建物)の右手に見える水面などまったく同じことから、元写真と断定しても間違いないでしょう。

 さらに、初詣の際に撮影したのがこちらの写真です(写真2)。西国十四番札所にあたる観音堂左手の見晴台から、先の写真とだいたい同じアングルで撮影してみました。琵琶湖の向こうに見える遠山など昔のままなのがよくわかると思います。

 では、イリュストラシオンの元写真は、一体いつ頃とられたのでしょうか。細かく年代を特定するのはやや困難ですが、まず、新聞が発行された1891年5月23日以前であることは間違いありません。また、観月舞台手前に見える灯籠の側面には、文久元辛酉年四月建造と刻まれています(写真3)。文久元年は1861年です。また文久元年四月は、西暦に直すと1861年5月10日〜6月7日に相当します。

 以上から、1861年5月10日以降、1891年5月23日以前の間に撮影された写真であることは間違いありません。ただ、その間が30年とは、少々長いので、何かもう少し決めてとなる手掛かりを捜してみたいと思っています。


© Akira Nakano pcatwork.com 1999~2011